山門にある仁王像は仏法や伽藍の守護神とされ寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ役割を担っています。正式名称は金剛力士像といいます。2体で1組となっていることが多く、1つは阿形(あぎょう)像、もう1つを吽形(うんぎょう)像と言います。「阿」と「吽」はインドの言葉であるサンスクリット語からの由来です。阿形の「阿」は、ものごとの始まりを意味し、吽形の「吽」はものごとの終わりの意味があり、2体の金剛力士像は宇宙の始まりと終わり、陰と陽、など万物の一切を表しています。
子育てのいずみ(活泉)の伝記によって六地蔵尊の真ん中に本尊子育て地蔵尊が祀られています。子宝が授かり、すくすくと育つように子孫繁栄にご利益があると言われています。
お稲荷さんといえば神社の印象ですが、曹洞宗や道元禅師にとっては命を助けてくれた守り神として信仰されています。道元禅師が中国で旅の途中、重病にかかり倒れてしまったようです。その時にある老人が薬を授けてくれ道元禅師はみるみるうちに回復されたそうです。その時に助けてくれた老人が稲荷神様だと言い伝えられています。ここ霊泉寺でも開基以来、当山の無事安穏と発展を祈願するために守護神として放光稲荷大明神をお祀りしています。昭和38年の開山四百五十周年の際に、本殿を現在の場所に新築。大本山永平寺貫主勅賜大光円心禅師を拝請し、御開帳法要を厳修しました。
「稲荷神」は、生命の根源を司る「いのち」の神であると言われ、五穀豊穣、商売繁栄、殖産興業、開運招福など農業や商業の守護神として人々の生活のすべてに御神徳を授ける神様です。
織田信長に仕えた滝川一益が埋葬されたと言い伝えがあり、この歌碑は滝川家にゆかりのある方が滝川一益を偲んで歌とともに寄進されました。
「もののふの ゆかり尋ねて 虫の音の 越路にきたり うたた偲ぶも」
明治27年に当山第24世石運大和尚が10万人の信者を勧募して安置。連座より10メートルに及ぶ漆塗りの立像の木造大仏は日本でも最大級の大きさを誇り、武生三大仏のひとつに数えられています。当時の大仏殿の正面に飾られていた大額面の文字は真宗出雲路派 毫攝寺蓮枝 光雲上人の書である。
仏像を見る霊泉寺の本堂になります。本堂の中には賓頭盧尊者像、阿弥陀如来像などが安置されています。
鐘撞き堂は毎年12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時に大勢の方が除夜の鐘を撞きに来られます。108回鐘を撞くと言われていますが、煩悩の数が108つあると言われその108個ある煩悩を鐘が一つ鳴るごとに一つずつ消えて、来年は幸せな一年を過ごしたいという願いが込められています。煩悩の数は様々な説がありますが、一説によると、四苦八苦という言葉に由来しているとされ、四苦(4×9)と八苦(8×9)を足した数が108になることから、煩悩の数も108個だと言われています。